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【アイルトン・セナを改めて調べたらアイルトン・セナ師匠になった】

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どーも(*´▽`*)

 

ラーメン大好きダイコクです🍜

 

本日、僕の勤めるお店に入荷した商品がキテレツで。

 

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アイルトンセナ 1/6フィギュア

Ayrton Senna Live Legend 1/6 1993 Brazil Grand Prix

[ ¥47,800 (税抜き)/ ¥51,624(税込み) ]

 

生産国:ブラジル

 

精巧に作られたアイルトン・セナの1/6フィギュアは、セナ財団公認アイテムで、1993年サンパウロGP優勝時の勇姿をかたどったもの。アクションパーツとして、9種類の手、ヘルメット、旗、トロフィー、スパークリングボトルなどが付属しているので、付け替えることでいろいろなセナの姿を楽しめることができます。世界限定2000セットのみの販売。

サイズ:30cm

 

◎いろんな形の手や付属のパーツを組み合わせてあらゆるシチュエーションをお部屋で

演出してください。

 

そもそも、僕はF1に関してはにわかファンで、

 

F1レーサーといえば?

 

と言われて「アイルトン・セナ」とか「シューマッハ」かな?

 

って程度で「セナが若くして事故で亡くなってんな?」

 

ってことぐらいでした。

 

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少し調べてみた。

 

 

アイルトン・セナ・ダ・シルバ

(Ayrton Senna da Silva,1960年3月21日~ 1994年5月1日)

F1ワールドチャンピオンに3度輝く。

 

古舘伊知郎が実況中継で「音速の貴公子」と表現したことがよく知られている。

 

ブラジル・サンパウロの比較的裕福な家庭に育ち4歳の頃、父親からレーシングカートを与えられるとドライビングに熱中。

 

Wikipediaを引用して年齢ごとに追ってみた。

24歳の時、トールマン(レーシングチーム)よりF1デビュー。

 

25歳の時、名門ロータスに移籍。通算16戦目となる第2戦ポルトガルGPで自身初のポールポジションを獲得。念願のF1初優勝。

 

26歳の時ロータスのメインドライバーとなる。ウィリアムズ・ホンダ勢との争いの中、その強さを身をもって体感したことで、ホンダエンジンを手にしたいとの思いを抱くようになった。

 

27歳の時ロータスとセナはホンダエンジンを獲得。この時、日本人F1ドライバー中嶋悟とチームメイトになる。

 

28歳の時、チャンピオンになるためマクラーレンに移籍。この時マクラーレンにもホンダのエンジンを搭載するようになる。当時すでに2度のタイトルを獲得していたアラン・プロストとコンビを組むこととなる。

 

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この年、マクラーレン勢が他を圧倒した記録的なシーズンとなった。しかし、第13戦ポルトガルGPでの幅寄せ行為以降、セナとプロストの関係には溝が出来始めていた。

 

29歳の時、初めてカーナンバー1を付けてシーズンに挑む。決勝では第2戦サンマリノGPでシーズン初勝利となったが、このレースで「先に第1コーナーに進入した者がレースの主導権を得る」というプロストとの間での紳士協定に反し、赤旗中断を経た再スタート直後、2コーナーでプロストを抜いてしまう事件が発生。これ以後、前年に兆候があった2人の溝は決定的なものとなり表面化する。

第15戦日本GPにおいて、トップ争いの中で両者はカシオシケインで接触。先にシケインに入ったプロストの右インにセナがつっこみ、両者は接触したままシケイン入り口で直進したまま止まった。プロストは車を降りたが、セナは再スタートしシケインの近道を通過したがレース後に失格処分となる。(セナがプロストに対して故意ではないかと疑っていた。)

スーパーライセンス不発行の危機に陥る。

 

30歳の時、引退危機に晒されたが開幕直前にライセンスが発行され参戦が決定。

プロストフェラーリに移籍していた。

第15戦日本GPにおいて、スタート直後に先行するプロストのインにセナが突っ込み、両者ともそのままコースアウトしリタイアとなった。両者が2年連続で接触するという形となった。翌1991年の日本GP後に、セナはこの接触が故意によるものだったと認めている。セナは前年の報復の意図があったことを示したが、大きな批判を受けた。

 

31歳の時、念願の母国ブラジルでの初優勝を達成。セナはこの年限りでマクラーレンを離れ、ウィリアムズへ移籍する考えを抱いていたが、翌1992年も残留することとなった。

 

32歳の時、ウィリアムズの勢いの前にマクラーレンは劣勢を強いられる。

この年、ホンダがF1活動の一時休止を表明。

 

33歳の時マクラーレンは1年休養明けのプロスト擁するウィリアムズ・ルノーに対し劣勢を予想されセナは休養を考えるようになるが残留する。

プロスト引退表明。

 

34歳の時、ウィリアムズ・ルノーへ念願の移籍。しかし、この年ウィリアムズの武器であるアクティブサスなどがルール改定により禁止となる。

 

 

第3戦サンマリノGP、イタリア・イモラサーキット。

予選1日目、親密な間柄であった同胞のルーベンス・バリチェロが大クラッシュを起こし病院に搬送された。

予選2日目には、ヴィルヌーヴ・コーナーでクラッシュしたローランド・ラッツェンバーガーが死亡。

 

レース前「走れる気がしない」と事故を暗示するようなコメントも残しています。

 

セナはポールポジションから決勝をスタートし、1コーナーでも首位をキープしたが、後方での事故によりセーフティーカーが導入される。そして再スタートが切られた後の7周目(現地時間午後2時17分)、直後にミハエル・シューマッハを従えて超高速・左コーナー「タンブレロ」において時速312kmでイン側を走行中に、3つ目の舗装の継ぎ目で突然不安定となりグリップを失ったままアウト側に向かい、そのまま直進してコースアウト、コース右脇のコンクリートウォールに激突(激突寸前、時速210km-220kmまで急減速していた)、FW16はボディー右側が大破した。

死亡の直接原因はステアリングシャフトの頭部(ヘルメット)貫通によるダメージだった。

 


アイルトン・セナ ニュース速報(F1サンマリノGP)


アイルトンセナ救急シーン、赤旗中断1994イモラ

 

人柄は、神経質で内向的な性格と言われていた。

レースで事故が起こるといち早く駆け付けドライバーを気遣った。

自ら事故現場を訪れ、なぜ事故が起こったのか原因追及していた。それは自分の為ではなくレース全体の為。とても真面目で優しい性格だったんだと思う。

 

犬猿の仲だと思っていたプロストが事故後こんなことを言っています。

●●●●

事故から3か月たった今でも、ほとんど毎日セナのことを考えています。

彼がいなくなったことで、僕のF1での大切な思い出が消えてしまいました。

セナはレースでやる気を起こすためにはライバルが必要だという事に気付きました。

セナには僕が必要だったのです。“僕”を倒すために彼は燃えたのです。

でも、我々の間にはお互い尊敬の気持ちがありました。

一年間レースをやめていた時でも、セナとはよく電話で話をしました。

セナは、僕がいないとやる気が起きないと言っていました。

「今年のセナはもうレースへの情熱を持っていない」と感じました。

彼は、いつまでも挑戦者でいたかった。

しかし、守る立場に立たされてしまったのです。

若いレーサーを相手にトップの座を守らなければならない……それは非常に難しいことだったでしょう。
セナが僕を一番魅了させたのは ”レースで100%集中していたこと" 。

簡単に100%と言うけれど、実際に100%集中するのはとんでもないことです。

僕には家庭もあるし、休暇もある。ゴルフや自転車、スキーにも夢中になります。

ですから、僕の場合、95%……いや98%くらいレースに捧げていると思っています。

しかし、セナの場合、大切なものはレースだけなのです。

また僕の乗るマシンに何らかのトラブルが生じた時、僕ならすぐにピットに入ると思います。

でも、セナは違いました。彼は本能で走ろうとするのです。

今となっては、セナと共に走ったこと、それが僕にとって一番大切な思い出です。

— 第1部 アイルトン・セナ ForeverプロストへのインタビューVTRより

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プロストもすごく寛大な心の持ち主!

 

アイルトン・セナの名言に

 

重要なのは勝つこと。それ以外は全て結果に過ぎない。

 

 

期待感や目的を遂げて最高の走りで最高の結果を出そうとする気持ちが、僕にある種の力を与えてくれることがある

 

 

競争するということは、常に自我を試されているということなんだ

 

 

重要なのは勝つこと。全てにおいてそして常にだ。参加することに意義がある、なんていうのはデマに過ぎない。

 

 

というものがある。

どの言葉をとってもセナの勝負に対するまっすぐでストイックな考えに驚かされた。

 

このレースに対する集中力やモチベーションは因縁のライバル・プロストがいたからこそ保たれていたのだろう。

 

ホンダのエンジンと出会ってからは大の親日派になり

とんねるず生ダラでゲスト出演していた。


アイルトン・セナ 生ダラカート レース編

 

今となれば改めて思うけどタカさん(アイルトン・タカ)すげー!

若い!

今の僕と同じぐらいの年齢か、、、

すごい経験をしているなこの人。

タカはヘルメットもらって、サダはグローブをゲットしてる👀

負け犬サダ懐かしい。

福澤アナテンション高め!www

 

 ゴーカートは 子供達に安全で楽しくチャレンジをさせることで成長させることのできるとてもすばらしいものです。スクール生の中からF1レーサーが生まれるでしょうという言葉に、心の底から走ることが好きだったんだなって思いました!

 

生涯、レースに妥協することなく戦いストイックに勝利にこだわるあまり敵も作ってしまう時期もあったが仲間を大事にしライバルを大事に想う心があったからこそ23年経った今でもブラジルの、世界の英雄として慕われているんだと理解しました。

 

そう思ってフィギュアの顔を見ると、最初に見た顔とは少し違って見えました。

 

ありがとうございました。

 

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